2016年01月05日
神原八幡宮 取り追う祭り
※アップするのが大変遅くなってしまいましたが……
毎年12月最初の卯の日の前夜(今年は12月4日)に大里地区の神原八幡宮で行われる 『取り追う祭り』 が盛大に行われました。
この『取り追う祭り』は、地元では、南北朝時代に、肥後の豪族で南朝方だった菊池武重が、北朝方(足利方)との戦いに敗れ、伊万里市二里町大里に逃れ、大里の神原八幡宮の神官になり、南朝方の再起をはかるため、火中・煙中・冷水の中にも耐えることができる精神を養うために、火中訓練をしたのが始まりと伝えられています。
*この祭りは、平成21年3月11日、文化庁から、記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として選択されています。
この祭りの最大の見せ場は、新米のもち米を丸く握った「御供(ごくう)さん」を入れた笊(テボ)の争奪戦です。
この争奪戦では、松明を持った守り手が、テボを奪おうと攻めてくる攻め手から、これを守ろうと松明を攻め手に打ち付けて、火の粉を浴びせます。
攻め手守り手ともに手に持った榊(さかき)の枝で火の粉を払います。
激しい攻防戦が繰り広げられる中、テボの奪い合いが終わり、テボの蓋が開けられます。
最後に、無病息災の縁起物とされているテボの中の御供さんを氏子たちや観客に配って、祭りはフィナーレを迎えます。













毎年12月最初の卯の日の前夜(今年は12月4日)に大里地区の神原八幡宮で行われる 『取り追う祭り』 が盛大に行われました。
この『取り追う祭り』は、地元では、南北朝時代に、肥後の豪族で南朝方だった菊池武重が、北朝方(足利方)との戦いに敗れ、伊万里市二里町大里に逃れ、大里の神原八幡宮の神官になり、南朝方の再起をはかるため、火中・煙中・冷水の中にも耐えることができる精神を養うために、火中訓練をしたのが始まりと伝えられています。
*この祭りは、平成21年3月11日、文化庁から、記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として選択されています。
この祭りの最大の見せ場は、新米のもち米を丸く握った「御供(ごくう)さん」を入れた笊(テボ)の争奪戦です。
この争奪戦では、松明を持った守り手が、テボを奪おうと攻めてくる攻め手から、これを守ろうと松明を攻め手に打ち付けて、火の粉を浴びせます。
攻め手守り手ともに手に持った榊(さかき)の枝で火の粉を払います。
激しい攻防戦が繰り広げられる中、テボの奪い合いが終わり、テボの蓋が開けられます。
最後に、無病息災の縁起物とされているテボの中の御供さんを氏子たちや観客に配って、祭りはフィナーレを迎えます。
合戦を前にした八幡宮
今年の当番(営所)
営所で833個の御供さんを握ります
笊(テボ)に御供さんがおさめられました
松明に火が点けられます
守り手(白装束)によって、八幡宮に運ばれるテボ
合戦の模様(舞台上には、白装束の守り手と黒装束の攻め手がいます)
御供さんが観客に配られてフィナーレ
今年は、菊池市長、伊万里市長も観戦。両市間の絆をさらに深めるべく固い握手が交わされました